マグロ漁業ぎょぎょう気仙沼けせんぬま関係かんけいは?

気仙沼市観光キャラクター「海の子 ホヤぼーや」
気仙沼けせんぬまでは5,500年以上いじょう前からマグロを食べていたんだよ。

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マグロのイラストマグロと気仙沼けせんぬま関係かんけいはとても古くて「波怒棄館遺跡はぬきだていせき」などから「マグロのほね」が発見はっけんされていて、縄文時代じょうもんじだい(今から5,500年以上いじょう前)からマグロを食べていました。

マグロ漁業ぎょぎょうと気仙沼

気仙沼けせんぬま漁港ぎょこうは、世界的せかいてきにもたくさんの魚がとれる「三陸さんりく漁場ぎょじょう」が近くにあることと、リアス式海岸しきかいがんおくふかい入り大島おおしま自然しぜん堤防ていぼうとなっていることからなみしずかな漁港ぎょこうで、むかしからたくさんの船に利用りようされてきました。

石器が刺さったマグロの骨(波怒棄館遺跡) マグロと気仙沼けせんぬま関係かんけいはとても古くて「波怒棄館遺跡はぬきだていせき」などから“マグロのほね”が発見はっけんされていて、縄文時代じょうもんじだい(今から5,500年以上いじょう前)からマグロを食べていたことがわかっています。
みぎ写真しゃしん石器せっきさったマグロの ほね

明治時代めいじじだいにエンジンをのせた船が登場とうじょうしたことから、遠くの場所ばしょまでいって魚をれるようになったり、昭和時代しょうわじだいには大きな戦争せんそうがありましたが、戦争せんそうわったあと、食べるものがたいへん少なかったので、気仙沼けせんぬまではたくさんのマグロ漁船ぎょせんを作り、たくさんのマグロをとってきました。たくさんのマグロ船ができたので、その船に漁師りょうしさんがたくさんあつまり、気仙沼けせんぬまは今でもマグロ漁船ぎょせん漁師りょうしさんが日本一多いまちになっています。

また、たくさんの船がみなと利用りようしたので、船を修理しゅうりする会社やエンジンをうごかす燃料油ねんりょうゆ積込つみこむ会社、魚をるエサ、魚を道具どうぐ積込つみこむ会社など、色々な会社(関連産業かんれんさんぎょう)も一緒いっしょに大きくなり、気仙沼けせんぬま市の発展はってんに大きな貢献こうけんをしてきました。

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出典しゅってん気仙沼けせんぬま市役所しやくしょほか

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